学歴社会と終身雇用
先日日本から出張できていた友人の話を聞いて驚いた。
彼には小学校6年生の娘さんがいて、在米当時はうちの娘とも仲良く遊んでいたのだが、その彼女が今中学受験で大変だそうだ。
毎晩遅くまで塾に通い、趣味で習っていたお稽古もあきらめ、夏休み返上で有名私立中学に合格するために泣きながら猛勉強しているという。
私の友人であるお父さんも、遊びたいさかりの年齢の子供にこんなに勉強をさせるのはおかしいと嘆いている。しかも私立中学の入学金や授業料を払うためにお父さんのお小遣いまで制限されているという。
思春期真っ只中で、遊びから、友人関係から、親子関係から、その後の人格を形成する最も多感な時期に、親との時間も、友達との時間も、趣味に没頭する時間も取り上げて泣きながら塾通いすることにどんな意味があるのか。
友人は気を悪くしたかもしれないが、しつこく失礼なほど突っ込んでしまった。
子供が就職する年齢になった時、どの大学を卒業したかで就職の選択肢が大きく変わる。一般的に良い大学を出るほど選択肢が広くなる訳だ。
将来何になりたいか分からない年齢の子供に対して、親がしてあげられることは選択肢を広く残すこと。子供が本当に志望を決めたときに潰しが利くように。
いい大学にさえいれておけば、将来どんなキャリアを選択しても、大抵はなんとかなる。と、いうか大学卒業時点でまだ自分の進みたい方向が決まっていなくても、安定性や、待遇だけで有名企業を選ぶことが出来る。
ということは、親として将来子供が何かをやりたくなった時に、
「今からでは遅い。そういう道に進ませてくれなかったお父さん、お母さんのせいだ」
と言われないためだけに、家族全体で無理をして塾に通わせ、有名私立校に入れるのか。
「お前にはやるだけの事はしてやった」と、言えるだけのために。
それは裏を返せば、親として子供の人生を左右する決定を先延ばしにして責任逃れしているだけなんじゃないのか。
小学6年生の子供が、「私は将来世界一のピアニストになりたい」と言った時に、全力で応援してあげる代わりに、
「この子が世界一のピアニストになれる可能性はXXパーセント。ピアニストを目指して、プロになれなかったときの就職先選択肢は音楽の先生か、せいぜいスタジオミュージシャン。それでいいのか?」
という打算があったんじゃないのか。
失敗したときの責任を持てないから、個性を伸ばす可能性の芽を摘んで、平均的な社会の中で「中の上」を目指させるのは、子供のためじゃなくて、親のエクスキューズ。
それでもこれまではよかったかも知れない。
確かに、いい大学を出ればいい就職ができる可能性が高い。
でも、それは今でも、そしてこれからも続いて行くだろうか?
企業はいまでも「受験バカ、学歴バカ」を優先的に採用しているのだろうか?
こうした学生が企業に好まれるのは、その企業のカラーに染めやすいからではないか。終身雇用が常識だった時代には、企業は採用した学生をゼロから、時間をかけて自社カラーに染め上げることができた。
大学で何を専門に学んだかなんて関係ない。どうせ、大学に入るまでに受験戦争で失われた青春を取り戻すとばかりに遊び呆けて卒業した大学だ。何の学位を取ったのかと、配属先の部署は関係する必要が無かった。定年退職になるまゆっくり時間をかけてその企業カラーに染め上げればいいのだから。
しかしイマドキの若者は企業に終身雇用という「暗黙のコミットメント」をしなくなってきた。そうなってしまうと、企業も「いつやめるか分からない社員」に長期間をかけての教育はできないから短期間で自分の給料以上の貢献をしてくれる社員を優遇せざるを得ない。
そうなると、親のエゴでエリートコースを進まされた「受験バカ、学歴バカ」よりも早い段階からキャリアを見据えて専門分野で力を着けた「専門バカ」の方が企業には即戦力として優遇される時代が来る。
その時になって、今の受験戦争を子供に強いている親は、「なぜ、私が小学校でピアニストになりたいと言ったときに応援してくれなかったのか」と責められても返す言葉を持たない。
